会津戦争
明治元年(1868年)5月は、奥羽越列藩同盟の中心となった会津藩が、
薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍に抵抗した戦いです。
戊辰戦争の局面の一つであり、会津藩の処遇をめぐって主に現在の福島県が
戦場になりました。
同年9月頃に会津藩は、新政府軍に降伏しました
同じ日本人同士ですが、遺恨は残りました。
象徴するエピソードとして
①日清・日露から第一次世界大戦で徴兵された会津、会津地方出身者は、
生きて帰れないような激戦地に送られた。
②第二次世界大戦・太平洋戦争の時、仙台の師団長が山口県出身で、
会津や九州の兵は、激戦地に回された。
未だに、長州への恨みの種を見つける年配の方も、会津には居るそうです。
白虎隊
会津藩が会津戦争の際に組織した16、7歳の藩士子弟によって組織した少年決死隊です。
年齢別に玄武・青龍・朱雀・白虎に分けられ、白虎隊には16・17歳の少年兵士が所属。
また身分別に士中一番隊・士中二番隊、寄合一番隊・寄合二番隊、足軽隊に分けられていました。
老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局だったので、少年兵の投入に異論を挟む者はいなかったと言われ、
白虎隊は各防衛拠点へと投入されました。
装備していた火器は旧式銃で火縄銃よりはましというレベルの装備でした。
飯盛山で集団自決を遂げた白虎士中二番隊が特に有名です。
様々な人々に印象に残ったらしく、1928年にムッソリーニが白虎隊の精神に感心して、
元老院とローマ市民の名で寄贈した記念碑がありました。
しかし、第二次世界大戦後、進駐軍により破壊されたが、後に一部が復元されました。
